私の生活のために資産を残してよ

る中に、また、出来れば排気ガスを出さないバリアフリーな路面電車を通すなど、環境改善のシステムを普及させるためにも多摩ニュータウン全体に対する施策を司る機関がやはり必要になる基盤整備は多摩ニュータウンの宝日本の都市計画は、拡大し続ける市街地に基盤整備が追いかける歴史だったと言って良い道路がない、公園がない、施設がないとナイナイヅクシの市街地に道路を、公園を、施設をとイタチごっこのように追いかけるのが都市計画の仕事だったように思う。
時には地主の協力を得たり、法律を元に買収をしたり、大規模な区画整理で生み出したりと、試行錯誤を繰り返し基盤整備を進めてきた歴史がある。しかし、その進行は遅々として歩まないし、未だに都市の幹線はブツブツと切れている。それが多摩ニュータウンにはない。最初から都市を造る為に山林や農地、そして宅地を買い上げてしまった。山を削り谷を埋め新しい住宅地を丘陵部に造成した。

地代代わりの代替え地を谷部に配置し、道路を通すのに地主との交渉はない。描いたとおりに道はできる。理想的な公園の配置も思い通りの施設整備もできた。この計画を担った当時の都市機構の技術者は燃えに燃えたであろうことは想像に難くない。

入居者専用技術屋からすると冥利に尽きると行っても良いくらいだしかし、その多摩ニュータウンが計画から三〇年も経たない内に、学校の統合と廃校、商店街の閉鎖、少子高齢化の余波での悪評の数々。勇んで計画したプランナーも心の底で「ひょっと思ったかもしれない。実は多摩ニュータウンの失敗を学んで港北ニュータウとしたら……」ンは新住法を適用しなかったと聞く。新住法があまりに大上段に構える計画であり、柔軟に土地利用を進めることに無理があるという判断のようだ。
こうした計画の判断ミスはありがちだと思うが、どちらが正解かはわからないこれから五○年後、100年後の状況を考えた場合、意外と多摩ニュータウンに軍配が上がるかもしれない。ニュータウン開発は基盤整備の方法の選択で、その手法が決まる。多摩ニュータウンでは新住法が用いられた。港北ニュータウンでは土地区画整理法が採用された。
その結果がわ一方、土地利用の自由度を高めるためには区画整理が便利であったしかるのは次世代の人々である。民間の資金力を導入する開発手法も容易に採用できた。
しかし、市街地の姿は開発の容易さや自由度で決定するものではなく、都市の持つ基盤整備の善し悪しで評価されると考えられる。イギリスの田園都市レッチワースは計画から100年を迎えて、今なお当時の姿を見せている。100年前の木造建物も健在である。

簡単なお部屋の掃除

住み続けるための修復を繰り返し、良好な環境を維

持しているレッチワースは低層の住宅地であるが、長きに渡って人々に愛され続け、魅力的な住宅市街地として生き続けている。イギリスにはこうした住宅地が多く残されていて、住み続けることで住まいを維持しアイデンティティのあるまちづくりを進めているように思う。
団地管理組合は大地主ヘクタール単位の土地に建つ団地群建ペイ率10パーセント台の団地、平置き駐車場が一00パーセントの余裕緑も豊かに育っていのある敷地にはる、ゆったりとした土地利用の団地が多摩ニュータウンにはある。
低密度でコストのかからない、維持管理が容易な住宅市街地がある。その団地群が永山駅と多摩センター駅を利用する圏域に広がっている。とりわけ、初期の団地では容積率五〇パーセント前後という団地がある。

一九七七年昭和五二年くらいまでは低密度で計画されており、以降バブル経済の始まりまでに少し容積率もアップし、七五パーセント程度が標準になり、バブルに入ってからは鰻登りになり一00パーセントを超えることは当たり前、最近の民間開発では一五○パーセントを遙かに超え三00パーセントの開発も登場した。

最近開発された団地やマンションで容積率を使い切っていることもあり、戸数増の建替を進めることはできないであろう。は、将来の住宅需要から想定すると住宅価格の下落は必至で、土地資産の運用による建替は困難というより、不可能であろう。しかし、多摩ニュータウン開発当初に建設された大規模団地の敷地にはゆとりがあり、展開可能である。

再生や建替などの施策も比較的、こうした条件の整った団地が多摩ニュータウンにあることは多摩ニュータウンの財産でもある。しかも、それらの団地は特定の事業者のものではなく管理組合の土地である。

入居者専用つまり、権利者みんなの意志で土地活用が可能になるものでもある。

現在、建替を検討している諏訪団地は敷地面積六四ヘクタール、住戸数六四〇戸、戸当たり四八平方メートルの住宅面積、五階建ての住宅団地である。建替をするのに、住戸面積を二倍の九六平方メートルにして五階建てで配置しても充分、計画できる敷地の広さである。高層住宅を建てるのではなく、既存の斜面地形を利用したスローブを利用したアプローチでバリアフリー住宅を整備することも可能である。

むやみにエレベーターを使ぅのではなく、自然の地形を活用することで維持管理費が少なく、経済的に住み続けることが容易な住宅地とすることができる。見方を変えると多摩ニュータウン開発団地の管理組合は大地主である。大げさにいうと宅地の細分化を抑制し、あるいは宅地を統合して管理する地権者である。また、修繕積立金という管理組合、自らが街を作ることを意識したとき、資金力もある。
主体的にまちづくりに参加することができる。団地所有者の組合員が構成する団体であることは、目先の金銭にとらわれな組織的なまちづくりを進めるには最適な集団でもある。
これまで、マンションや団地居住者は与えられた環境や建物を受動的に受け止め、団体としての環境改善や住まいの改善には余り関心を持たないで来たように思う。自らの住環境に声を

出すことには関心がなかった人も多いだろう。団地やマンションを取り巻く環境や土地利用のあり方について、自分たちが関われるとは思わないで過ごしていたはずだ。

しかし、一端、白らが管理組合の役員となったときには、大地主、大家主であることに気づくことができるマンションや団地が織りなす街は、建設後少なくとも100年の歴史を紡ぐことになるのだから、うっかり時代の策謀に動揺されることなく、しっかりとしたスタンスで自らの資産を将来に渡って活用できる社会資産に育てていく計画を進めていただきたい。

酉国立中村ビル

資産は人の命より長必ず後世に繋ぐ貴重な財産だから大切にしつつ、く利用でき、有効な活用を進めていただきたい。今の人は100年後には居ないのだから市民が守る都市の資産学校など、公共施設というものについて、殆どの市民の意識はお役所で守る道路、公園、そのことで、役所がやってくれないものと決めている。自らの発言はという他力本願な実は、公共施設の管理は本来市民が行うことになっていて、市役所言葉になる。
代理人をと定めて管理させているという図式であり、役所に市民がお願いすることではないことをまず最初に気づかなければ都市の資産を市民が守ることはできない。役人が市民である場合もあるが、他から通ってきている人もおり、市民と同一の立場ではないことをまず理解すべきであり、市民の代理人として役所(役人)に委任しているに他ならない。
日本の場合、江戸時代から御上おかみがいて、の下に役人(武士)その下に市民がいたという構図が未だにDNAの中に潜んでいて抜け出せないでいる。
農·工·商役所(役人)は市民の代理人であるということを意識して行動することが必要だ。
水平型組織役所の中核は議会である。市民による議員や市長の選任は重要な市政への参加意志であり行為である。市民として自らの代理人を選ぶのであるから、運命を託す人材を積極的に選定することは当然である。時には市民の代表として議会にでる覚悟のある人材もまちづくりには必要市民が議会に参加することで地域への係わりの範囲を広げ、になる。さらに地域への参加で白主性を高めることになる。このように都市の資産は市民が守るのである。
市民にこうした意識が育てばまちづくりは容易に進む。街のゴミ拾いに始まり、地域の落書き消し、駐車違反の取り締まりや防犯対策など市民がやる仕事は沢山ある。マンション管理組合も共有の財産管理に止まらないで住み続けるための住宅内の維持管理サポートも役割として担える部分だ。

水道の水漏れ修理、インターガスボイラーの購入支援などマンションならではの共ンの取替、ガスコンロや換気扇の交換、通部品を共同購入することも喜ばれる仕事だ安全対策としては防犯のための鍵の交換や高齢者等の一人暮らし世帯への声がけ、定期的なイベントによるコミュニティの醸成、団地内で高まるコミュニティ活動への支援など、結果的に管理組合の資産管理の目的に結びつくことは多様である。

こうした活動に多くの組合員を巻き込んで役割分担を促していくことが、良質なまちづくりを押し進めるための第一歩であるマンション管理は都市の管理に繋がるものである。個々の思いが大きな動きに結びつき、街は活性化していく。そのことで街に人が集まり、持続可能な都市になっていく。その為の管理組合のあり方を見出していくことを考えてみよう。

たとえば、多摩ニュータウン全体の管理組合が結集して協同組合を結成するとしよう。資力

信用のある組織が結集した組織は大きな力を持つに違いない。団地保険や地震保険、各種組合各種慰安サービスなど多様な活動が可能になる。員に向けたサービス、団地管理の支援、個々の管理組合だけでは実現できなかった多くのメリットが生まれる可能性を持っている。
組織化ができることで政治的な力も発揮することができ、発言権も強くなる。
ある種の圧力団体となることは好ましくはないが、市民が責任を持って都市を守っていく意識を高め、実質的に行動できる環境が生まれることは確かであろう。