借地借家の法と経済分析

周辺からの転入を呼び込むにはパワー不足で、逆に孤立したニュータウンは、魅力ある一定規模で個性的な芳香を放ちながら存在し続け都市であったとしても急速な発展は難しく、ることになる。イギリスに範を求めるとロンドン郊外のレッチワースは計画から100年が経ち、三万人余今も少しずつ世帯を増やしながら、りの人口を有し、100年前の住まいを大切に活かしつつ、活力のある街を形成している。未だに住みたい街のベスト10に選ばれ、ステータスを持って市民は生活している。
郊外のニュータウンが魅力的であるためにはレッチワースが参考になると考えているもちろん多摩ニュータウンもそうありたいと考えてはいるが、幸い、多摩ニュータウンは周辺から人を呼ぶことが可能な環境があり魅力がある。コミュニティ、エコノミー、エコロジーどれをとっても多摩ニュータウンを上回る良質な市街地は周辺にはないと思っている。それほど優れた新市街地を過去の人々は造ったのだと思う。
これを無駄にしてはいけないし、後世にまで活かさなければならないと素直に思う。

近隣住区理論とラドバーン·システム多摩ニュータウン開発の特徴に、歩行者動線と自動車道線の完全分離がある。

連戦連勝「ラドバーンという歩車分離の手法であるが、システム」ニューヨーク郊外二五キロメートルの位置にある一10ヘクタール程の実験的住宅都市ンがモデルである。もともとの計画規模は五00ラーバーヘクタールであったが、開発会社の倒産で開発は滞り、その一部が完成して残るのみとなってその計画理念が多摩ニュータウンの生活動線を形作った。いる。人と車の完全分離の考え方で多摩ニュータウンの骨格は、ある。近隣住区理論とラドバーン·システムによって形作られることになった。
スーパーブロックによる住区構成は近隣住区論に範を得た考え方、そこへ車道が外周道路より進入し地区内のサービスを行う。歩行者はスーパーブロックごとに配置された近一方、隣センターを縫うように歩行者専用道路が整備され最寄り駅を結ぶ。歩行者道路と自動車道路は立体的に交差して安全で排気ガスのない環境を造りだした。
私も日常的に利用する駅までの歩行者専用道路は快適で、多摩ニュータウン開発の大きな成果だと思っている。

しかし、必ずしも良い評価ばかりではなく、立体的な車道と歩道の組み合わせはバス利用の為の階段や長いスロープの上り下りを余儀なくさせている。
また、大規模な街区構成であることが、商店街が閉店に追い込まれる中で、それに変わる身近な利便施設として普及してきたコンビニエンスストアの進出を妨げ、おまけに夜間の人通りの少なくなった歩行者専用道路は車道よりも怖い空間となり、スーパーブロックの弊害を見せ始めている。

気持ちの確認

またモータリゼーションの流れは自家用車利用を増加させ、路線型の大規模店舗に客を奪われた近隣商店街の衰退を引き起こした。制度的に高齢者が集まりやすい都営住宅などの大規模団地では高齢化などがコミュニティ形成上の問題として浮き彫りにされ、大挙して転入した若年ファミリー世帯の為に準備した小学校や中学校も、学童期の子供の急速な減少で統廃合や跡地利用の課題が生まれた。
このように多摩ニュータウンは当初の計画がそのままで続いているのではなく、常に成長変

化をしていて、一見、衰退にも見える変化の中で蠢いている新都市という位置づけであろう。しかし、その都市基盤は卓越していて、日本の中でも選りすぐれた環境を造り出していることに変わりはない。多摩ニュータウンは生きている多摩ニュータウン開発は新たな時代を迎えている。
幹線網の整備は引き続き行われているものの、造成済みの宅地には民間マンションが建設され完売を続けている。また、業務地には大規模店舗やオフィスビルが建設され、新たな土地利用が進んでいる。
とりわけ多摩ニュータウンの中心である多摩センターの動きは顕著で、大規模マンション開発が進み始めている。国では新住法の運用を見直し、宅地処分要件を緩和して土地の複合的利用が可能なように法改正をするなど、さらに開発のしやすい方向に緩和施策が採られてきた。従って今後さらに多摩ニュータウン開発はスピードを上げて進んでいくと考えられる。

依頼主の希望で作業日は10日間とは言え、多摩ニュータウンには山積した課題があり、ハードについて言えば初期開発の大規模団地の再生問題があり、に建設された小規模住戸面積とりわけ一九七一年昭和四六年の住宅団地と、一九八一年昭和五六年新耐震設計法以前のラーメン構造建物についての改善が課題であるほか、建物の維持管理という持続的な活用を可能にする技術的なテーマがある現在、国の補助を受け建替事業を検討している諏訪団地も、この時代の建物で、多様な議論の中で再生を模索している。
また住宅政策などソフトについてはセーフティネットとしての都営住宅や機構賃貸住宅のように、同一施策で大規模かつ大量に供給された団地に高齢者が集中することの弊害に対する対そして階段タイプの住棟でバリ高齢化で戸建て持ち家に住み続けられない世帯の顕在化、策、アフリー確保が困難な中層住宅の居住対策など、内在する問題課題は枚挙に暇がない。

しかし、多摩ニュータウンの居住者は定住意識も高く、こうした条件を受け止めて将来に向けて生き続けることを目指しており、持続可能なまちづくりを進めようとしている。ニュータウンの模範が100年を経たイギリスのレッチワースであるとすれば、多摩ニュタウンの歴史は三五年にしかすぎない。レッチワースも100年の歴史の間には様々な紆余曲折があった。
同様に多摩ニュータウンも今までの歴史の中で蠢いてきたし、これからも様々なこれらの問題課題を解きほぐし、問題を孕みつつ、大海原を航海することになる。
未来へ向けての解決すべき方向を明らかにして、真に人の為の住宅市街地としての多摩ニュータウンに育つことを願うものである。

多摩ニュータウンの居住

魅力ある街とコミュニティ多摩ニュータウンの街開きは一九七一年に諏訪·永山地区の入居から始まった。

最初の分譲マンション開発となった諏訪団地の居住者は、代·三0代が中心で入居したが、二うち約八現居住者の年齢構成は多摩市の年齢別人口比率と同様な0パーセントはすでに転居しており、構成になっている。つまり、世代交代が行われ平準化している。

住み替えが進んだ背景には、昭和四六年に分譲した諏訪団地と永山団地は四八平方メートルという小規模な住戸面積で、ファミリーには狭すぎたことと、以後の急速なインフレオイルショックで資産価値の膨張とともに収入も増加し、実質的な負債の負担軽減化により住み替えが容易になった背景がある。
このように三五年以上も経過した団地では、住宅地開発の初期の入居者は必ずしも住み続けていない。

日本一ブティックの多い町

詳細をいうと諏訪団地の場合は当初の平均販売価格が八万円/平方メートルであったが二年後の一九七三年の第1次オイルショックで急速に資産評価を上げ、五年後の一九七六年、隣接の永山団地の分譲価格が1111一·八万円/平方メートルであったことから、五年間で三倍の資産の増加キャピタルゲインが生じたことになる。
当然、その資産をベースにして買い換え、さらに居住水準の向上が可能になる世帯が生まれることになる。このように郊外に展開する新住宅地の居住者は、住み替えを繰り返して住まいのバージョンアップを図ってきた。住宅双六当時の住宅双六の上がりはつまりといわれる図式である。多くの人が戸建て住宅を目指して買い換えと住み替えを繰り返した。

戸建て住宅であり、その結果として団地全体の高齢化を免れることができた。バブル経済が沈静化をして地価しかし、近年の住宅価格の動向は低下の一途を辿ってきた。の下落も緩やかになったが、多摩ニュータウンの場合は土地公示地価で見る限り、四五パセントの下落が継続してきた二00五年三月土地公示等
実際、さらに資産価値は下落し続ける状況であり、回復の余地は残されていないように思えていた。
まもなく全国的な世帯数の減少が始まると、見捨てられる住宅市街地も生まれるのだから、多摩ニュータウンがそうならないとも限らない。人気のある多摩ニュータウンだからといっても、他に魅力的なまちが現れ

れば多摩ニュータウンは見捨てられる運命にあると考えていた。それが二00六年から動向が変わっている。
多摩ニュータウンに到来したマンションブーム東京都の所有地の割安な土地売却に始まったマンションブームが加速度的に拡大しである。
それまで売れ残っていた都市機構の土地はでもがマンション·ディベロッパーに売却され、マンション建設が佳境に入ってきた状況になっている。おまけに販売すれば完売が続き多摩ニュータウン内の賃貸住宅や買い換え、そして周辺の相模原市や日野市から新住民が転入してこれまで広言されていた多摩ニュータウンの暗い印象がマンションバブルによって方向いる。

開発許認可をいかにして取得するか。転換している印象さえ受ける程だ。ただし、この開発ブームはこれまでの公的な多摩ニュータウン開発とは違う街並みを形成し始めている。高密度で緑地の少ないマンション開発で、これをどう評価するかは先人の助けが必要だ。今はただ見守ることしかない状況である世代構成の歪なコミュニティ新住区域の住宅供給は、住区を単位としてコ”、ユニティを混在させる方法で開発し、都市機構,都公社都営が協力して住宅建設を進めてきた。
従って、一つの住区の中に目的に合わせて都営と公団の賃貸と分譲公社の賃貸と分譲が混在しているのが標準的な配置で、とりわけ賃貸住宅が集中しないよう配慮しつつ計画が進められた経緯がある。しかし、現状はいささか偏った供給の実態があり公営住宅のみの地区、都市機構賃貸の地区、分譲マンションの街などと偏りが見られる。
中でもバブル経済以降の住宅地開発は、崩壊全て分譲マンションや戸建民間業者が都市機構か都の土地を仕入れて建物付きで売却する分譲て分譲住宅の供給であり、事業が住宅供給の主流になった。

このようにブロック毎の開発によって進められてきた多摩ニュータウンでは、地区によりコミュニティの形成状況にも特徴があり、とりわけ世代構成には確実に違いが見られる。